30数年来の友人の入院・退院を経験し、
このところフッと我に返って物事を深く考える時間が増えました。
1.病気知らずの自分と「健康」の定義
私自身、特に今まで「健康体」だったと誇れるわけではありませんが、
幸いにも一度の入院もなく、病気と言えば風邪や腹痛程度。
40代の頃に「身体に力が入らない」と感じた時期もありましたが、
気が付けば普通に生活している自分がいます。
そんな中、私はあるドクターの書物を読んで以来、
定期健康診断や血液検査をもう十数年受けていません。
私の場合、医者にかかるのは歯の治療やメンテナンス、
空手の稽古での肉離れ、あるいは足の爪の病原菌治療ぐらい。
極力、自身の体力と回復力を信じて生活しています。
2.健康保険と介護保険のジレンマ
国の介護保険制度が始まって以来、
私はずっと保険料を支払い続けています。
65歳を過ぎた今は、さらに2つの保険を支払うのは、
正直家計に重くのしかかっています。
もちろん、この制度が多くの人の生活を支えていることは理解しています。
しかし、私のように長年利用せずにいる側からすると、
火災保険のように「利用しない人」に対して、
年ごとに還付を行うか、掛け金を安くするような
インセンティブも考えてもらえないものかと感じてしまいます。
これが、長年健康維持に努めてきた人間の素直な思いです。
3.もしもの時の「終活」として
そして、ごく個人的な決断として、
死後の臓器提供の意思表示も取りやめました。
臓器提供は尊い行為ですが、現行の取り組み方を知る中で、
残された家族に大きな精神的、
時間的な負担をかけてしまうことを知ったからです。
人間は死ねばその身体は亡骸となりますが、
その後の手続きや期間が、
遺族にとって大きな重荷となってしまうのは避けたい。
当然ですが、私は延命治療などは求めません。
…なんて、少々強がりも入ったことを考えてしまった昨今です。
友人の件が、私自身の人生の終わり方や、
社会制度との向き合い方を考える、大きなきっかけとなりました。
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