ずっと心に刺さっていた「小さなトゲ」
私の人生には、一つだけやり残したことがありました。
それは、玉川大学通信教育部の卒業です。
かつて小学校の教員免許を取得するために編入しましたが、
免許を手にした後は、生活は怒涛のようでした。
教師としての毎日の授業、山積みの校務、そして家族との時間……。
目の前の責任を果たすことに必死で、
気がつけば大学の課題は後回しになり、
いつしか**「尻切れトンボ」**のまま月日が流れてしまいました。
「あと一歩で卒業だったのに」という思いは、
年老いた今も、心の隅に小さなトゲのように刺さっていました。
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明らかになった「現実」の壁
若かったあの頃にはなかった経験が、今の私にはあります。
効率よくこなすことは難しいかもしれませんが、
今度は「仕事のため」ではなく、
「自分自身の人生を完結させるため」に学びたい。
そのトゲを抜こうと、
先日、勇気を出して大学へ再入学の問い合わせをしました。
大学からの回答は非常に丁寧でしたが、
そこには想像以上に高いハードルが待っていました。
今のカリキュラムに合わせるには、4科目の修得が必要。
さらに、Web学習への移行やスクーリング(対面授業)の義務。
そして何より、経済的な負担です。
【再挑戦にかかる概算費用】
年金生活者にとって、この金額は決して軽いものではありません。
さらに、パソコンに向かってWebで試験を受ける日々を想像したとき、
私の心にはワクワク感よりも、
**「重い、苦しい」**という溜息が先に漏れてしまいました。
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✨ 「あきらめる」という名の新しい一歩
改めて自分に問いかけました。
「今、22万円と多大な労力を投じて手にする卒業証書に、
本当の喜びはあるだろうか?」
答えは「ノー」でした。
私が欲しかったのは「証書」そのものではなく、
「やり遂げられなかった過去の自分」への免罪符だったのかもしれません。
私は、この夢をあきらめることにしました。
でも、それは決して後ろ向きなことではありません。
現場で子供たちと向き合ってきた歳月こそが、
私にとっての「本当の卒業論文」だったのだと、
自分を許してあげようと思ったのです。
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今、この瞬間を大切に
22万円あれば、友人と何度美味しいお酒が飲めるだろう。
パソコンに向かう時間があれば、
どれだけ長くウォーキングを楽しめるだろう。
執着を手放した今、不思議と心は軽やかです。
「あきらめる」ことは、新しい「今」を手に入れること。
私はこれからも、
空手とウォーキングを愛する「生涯現役の教員」として、
自分らしい毎日を歩んでいこうと思います。
皆さんは、人生で一番がむしゃらになった時期はありますか? もしよろしければ、コメント欄で教えていただけたら嬉しいです。
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