文科省のいじめに関するマニュアルについて、
批判がでていますが、
おかしいですよ。
現場でマニュアル通りに行くと思っている人はいません。
あくまでも、一つの指針なのだから、
大上段から批判するような意見は言って欲しくない。
様々なマニュアルや指針が出るたびに、
現場は、それに対する細案を準備して
その研修会を持って理解する時間が大幅にとられる。
そして、研修内容の報告も詳しく提出しなければなりません。
それが仕事になり、子どもとのふれあう時間がなくなります。
無駄なことの繰り返し。
徹底させることが教師を子供たちから引き離しています。
教師を信じて任せておけない現実が垣間みられます。
そこでみなさんに思い出して欲しいのです。
それは、ちょっと前に文科省から出されたいじめに対する基本的な指針です。
とても大事です。
①いじめの定義→当事者がいじめと感じたら、それはいじめである。
②いじめを感じたら、無理して登校しなくて良い。死を選ばせるより、じっくり休ませた方が良いという判断です。
これは、いじめが原因で、自殺者が多発した社会であったときに出されました。
子どもの命を守ろう。
そんな大人の知恵が見えます。
命をなくさなければ、学ぶ機会はいつでもどこにでもあるから安心してというメッセージでした。
いじめから命を守るには、教師と親が信頼できる関係でなければなりません。
いじめから子どもを守るには、学校の教師も大きな責任はありますが、
もっと大きな責任があるのは、子どもが家に帰ってからの保護者です。
子どもと教師のふれあう時間がなくなり、
教師間の情報交換が会議室での形だけのものになって、
教師と親との接触も難しくなった社会になってます。
昨今の事例で1例をあげれば、家庭訪問を親が無意味だと止めさせました。
やったとしても、仕事が忙しいと言って短時間の儀礼的なものになっています。
一概に言えませんが、これらはゆとり教育が撤廃させられたための歪みが今あらわれていると言えます。
これからまだまだ困った事例が出てきます。
何万人といる教師のほんの一握りを引き合いに出して、教師を攻め畏縮させている現実に気づいてください。